横浜地方裁判所 昭和61年(行ウ)12号 判決 1988年2月24日
横浜市港南区下水谷町二七四一
原告
西木富久
右訴訟代理人弁護士
松本昌道
同
尾崎正吾
同
佐藤義行
横浜市南区太田町二丁目一二四
被告
横浜南税務署長
川平一夫
右指定代理人
堀内明
同
川島和雅
同
藤巻優
同
三橋正明
同
山中順次郎
同
守屋和夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟の総費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が、原告の昭和四二年分の所得税について、昭和四三年一二月二五日付けでした更正及び過少申告加算税の賦課決定のうち、総所得金額一七七三万一二二一円を超える部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の昭和四二年分の所得税に関して、原告のした確定申告及び修正申告、被告のした更正(以下「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)並びに不服審査の経緯は、別表一記載のとおりである。
2 しかし、本件更正処分は、次のとおり、譲渡所得に関する所得税法(昭和四九年法律第一五号による改正前のもの。以下「改正前所得税法」という。)六四条二項及び租税特別措置法(昭和四三年法律第二三号による改正前のもの。以下「措置法」という。)三八条の六の解釈及び事実認定を誤り、右規定に基づく特例措置の適用がないものとして原告の所得を過大に認定した違法があり、したがつて、これに附帯してされた本件賦課決定も違法である。
(一) 譲渡所得の発生
原告は、昭和四二年中に横浜市港南区下水谷町八木二四一四番地の畑ほか三四筆の土地(以下「本件譲渡土地」という。)を京浜急行電鉄株式会社ほか一五名に対して総額七〇〇五万六八〇〇円で譲渡し、所得(以下「本件譲渡所得」という。)を得た。
(二) 保証債務の履行と求償不能
原告は、妻の弟である安西光蔵(以下「安西」という。)を主たる債務者とする別表四記載の各保証債務を負担していたところ、右各保証債務を履行するために(一)のとおり本件譲渡土地を譲渡したものである。そして、原告は、その譲渡代金(以下「本件譲渡代金」という。)をもつて、同表記載のとおり右各保証債務合計三四六二万八三四六円を弁済したが、安西が無資力で同人に対する求償権の行使が全くできなかつた。
別表四の保証債務の内容及びその履行状況を詳述すると、次のとおりである。
(1) 別表四1
安西は昭和四一年七月二五日河原佐市から原告の保証のもとに金員を借り受けたが、支払能力を喪失したため、原告が昭和四二年八月ころ保証債務の履行として一〇〇万円を返済した。
なお、被告は、本件更正処分においては、別表四の1及び後述の別表四の2ないし4につき保証債務の履行としてこれを本件譲渡代金から控除することを認めていたのであるから、本件訴訟において右見解を翻して否認することは許されない。また、本件更正処分から十数年を経て原告が証拠書類を破棄した後に至り、本件更正処分においては更正されなかつた部分(原告の申告内容が認容されていた部分)につき、これを否認した主張をすることは権利濫用であつて許されない。
(2) 別表四2
安西は昭和四一年五月三〇日に福島高松から原告の保証のもとに金員を借り受けたが、支払能力を喪失したため、原告が昭和四二年八月四日に保証債務の履行として三〇〇万円を返済した。
(3) 別表四3、4
別表四3は、原告の実弟である西木秀夫が、港南農業協同組合から原告の連帯保証のもとに五〇〇万円を借り受け、昭和四一年五月二八日右金員を原告の保証のもとに安西に貸し付けたが、安西が支払能力を喪失したため、原告が昭和四二年九月一八日保証債務の履行として五〇〇万円を西木秀夫に返済したものである。
別表四4は、同様に西木秀夫が昭和四一年二月三〇日原告の保証のもとに安西に金員を貸し付け、原告が昭和四二年九月に四五万円を西木秀夫に返済したものである。
(4) 別表四5
安西は昭和四一年四月七日若林亮平から原告の保証及び原告所有不動産の担保提供を受けて金員を借り受けたが、支払能力を喪失したため、原告が昭和四二年八月に保証債務の履行として二〇〇万円を若林に返済した。
(5) 別表四6、7
安西は、神南青果組合から借り入れをしようとしたが、同組合が組合員以外に貸付を行わないため、安西の妻の父である清澤喜代次及び同人の経営する有限会社八百春を各債務者として借り入れることを右清澤に依頼し、その旨を同組合の理事長にも話したうえ、了解を得て金員を借り受け、右借受金をすべて使用したのであり、清澤喜代次及び有限会社八百春は単に名前を貸しただけであるから、安西が債務者である。そして、原告は、右借入に際して、物上保証人兼連帯保証人となつたが、安西が支払能力を喪失したので、別表四6、7のとおり右組合に保証債務の履行として返済した。
(6) 別表四8
安西は、富国建設株式会社の代表者である広川正司個人が講元となつている無尽(三日会)に参加し、昭和四二年四月三日二二〇万円で落札したことにより、同額の講掛金返還債務を負担したが、支払能力を喪失したため、原告が講元から要求されて保証人となり、同年一一月に保証債務の履行として講元に残金一八〇万円を支払つた。
(7) 別表四9
福岡平治は、原告に紹介されて安西の経営するポール商事株式会社(以下「ポール商事」という。)に小遣稼ぎに行くようになり、その後、安西に懇請されて資金を融通したり、原告の物上保証のもとに、安西に対して担保物件を提供したりしていたが、昭和四一年九月三〇日、原告の保証のもとに安西に対し二〇〇万円を貸し付けた。しかし、安西が支払能力を喪失したので、原告が保証債務の履行として福岡に対し二〇〇万円を返済した。
(8) 別表四10
安西は、東光商事から原告の保証のもとに金員を借り受けたが、支払能力を喪失したので、原告が別表四10記載のとおり、保証債務の履行として返済した。
(9) 別表四11、12
安西の経営していた藤自動車株式会社(以下「藤自動車」という。)は、有限会社湘南自動車工業所(以下「湘南自動車」という。)と取引があり、原告は右継続取引関係から生じた債務を保証し、また、原告所有不動産に湘南自動車の代表者である酒巻太郎を債権者として債権額を一〇〇〇万円とする抵当権を設定していたところ、安西が右継続取引に基づき振出交付してあつた約束手形二通(額面七一万五六五〇円と額面金額七二万五六五〇円)を支払えなくなつたため、原告が昭和四二年三月一四日に保証債務の履行として右手形金額を湘南自動車に支払つた。
(10) 別表四13、14、15
「債権者氏名」欄に記載の橋場屋本店、有限会社神田屋質店及び小瀬村與吉は、いずれも互いに関連のある債権者であり、安西はこの小瀬村グループから原告の保証のもとに金員を借り受けたが、支払能力を喪失したため、原告はこれを別表四13、14、15記載のとおり返済した。但し、同表15は、安西が昭和四一年四月に金員を借り入れたところ、原告が昭和四二年一月七日に保証人として、これを返済したものであるが、仮にそうでないとしても、原告は、安西が昭和四〇年一〇月二三日に借り受けた貸金を、物上保証人として安西に代位して昭和四二年五月二二日に弁済したものである。
(三) 買換え資産の取得
原告は、昭和四二年六月二二日、別紙物件目録記載の各不動産(以下「本件物件」という。)を神田屋商事株式会社(以下「神田屋商事」という。)から代金六〇〇万円で買い受け、また、本件物件の調査測量費等として一一万二三二〇円を港南測量に支払い、本件物件をポール商事に対し、右同日から賃料月額三万円で賃貸して事業の用に供した。
そして、右買受資金及び調査測量費等の合計六一一万二三二〇円は、本件譲渡代金から支出された。
なお、原告が本件物件を取得して事業の用に供した経緯は、次のとおりである。
(1) 安西は、昭和四一年四月八日、本件物件を当時の所有者亀井甲子雄から代金六〇〇万円で買い受けたが、本件物件には、右亀井のために抵当権等が数多く設定され、同人の債権者らから追及されるおそれがあつたため、安西は、ポール商事の取締役であつた鈴木彰の名義で昭和四一年四月九日所有権移転登記を経由した。そして、安西は、そのころ、ポール商事に対し、本件物件を賃料月額三万円の約定で貸し渡し、ポール商事は本件物件所在地において印刷業を始めた。
(2) その後、安西は、昭和四一年四月下旬、神田屋商事から利息月三分の約定で六〇〇万円を借り受け、右債務を担保するため神田屋商事に対し本件物件を譲渡し、同月二七日所有権移転登記を経由した。
(3) 他方、原告は、安西と相談して、安西の借入利子負担を減少させるために本件物件を自ら取得することとし、昭和四二年六月二二日、神田屋商事に対し、安西の前記債務六〇〇万円を弁済して本件物件を取得し、同日原告名義に所有権移転登記を経由した。
したがつて、原告は、右同日本件物件を取得すると同時にポール商事に対する本件物件の賃貸人たる地位を承継して賃貸人となつたのであり、この事実は、措置法三八条の六所定の事業用資産の取得に当たるというべきである。
(四) まとめ
以上によつて明らかなとおり、本件譲渡所得に係る総収入金額七〇〇五万六八〇〇円のうち、三四六二万八三四六円は、保証債務の履行にあてられたが求償権の行使ができなくなつたものであるから改正前所得税法六四条二項により、また、内金六一一万二三二〇円は事業用資産の取得にあてられたものであるから措置法三八条の六により、所得金額の計算上なかつたものとみなされるので、本件譲渡所得金額は、別表三記載のとおり一五八二万八四三一円である。なお、特例措置の適用のない場合の取得原価は四九一万四一七七円、譲渡費用は五〇万二四〇〇円である。
そして、原告は本件譲渡所得以外に事業所得、不動産所得等が別表二の「原告主張額」欄のとおりあつたので、原告の昭和四二年分総所得金額は一七七三万一二二一円である。なお、原告は、別表二の「原告主張額」欄の雑所得六〇〇〇円を昭和四四年七月四日の第二次修正申告の段階ではじめて加算したものであり、それ以前は右雑所得六〇〇〇円を除き総所得金額を一七七二万五二二一円として別表一のとおり第一次修正申告等をしていたものである。
3 よつて、原告は被告に対し、本件更正処分及び本件賦課決定のうち総所得金額一七七三万一二二一円を超える部分の取り消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実を認める。
2 同2の前段の主張は争う。
(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)、(三)の事実は否認する。
(三) 同2(四)の事実のうち、特例措置の適用がない場合の本件譲渡所得金額の計算の基礎となる総収入金額、取得原価、譲渡費用、特別控除及び譲渡所得金額が別表三の「何らの特例がなかつた場合の譲渡所得金額」欄のとおりであること、原告に本件譲渡所得以外に別表二の「原告主張額」欄のとおりの区分の所得があること、原告が第二次修正申告前は雑所得六〇〇〇円を算入せずに総所得金額を一七七二万五二二一円としていたことは認め、その余の事実は否認する。
3 同3の主張は争う。
三 被告の主張
1 本件譲渡所得の金額
本件譲渡所得金額の計算根拠となる総収入金額、取得費(取得原価)、譲渡に要した費用、譲渡益及び譲渡所得の特別控除の金額は、別表三の「何らの特例がなかつた場合の譲渡所得金額」欄のとおりであり、譲渡所得金額は同欄のとおり三二一七万〇一一一円である。
2 本件譲渡所得における特例措置の不適用
(一) 原告は、本件譲渡代金の一部が求償不能に係る保証債務の履行に充てられた旨を主張するが、次に詳述するとおり、原告は自己の債務を返済し保証債務を返済したものではない等、いずれも特例適用のための要件を満たしていない。
(1) 別表四1
原告は、自己が借主となつて、昭和四〇年一〇月五日河原佐市から二〇〇万円を借り受けたが、内金一〇〇万円を返済しただけで残金を返済しなかつたため、昭和四一年七月二五日安西豊治及び安西を借主に加えて、返済期を同年八月末日とした一〇〇万円の連帯借用証を河原に差し入れ、右弁済期に返済した。したがつて、原告の右弁済は、保証人としてのものではない。
(2) 別表四2
原告が福島高松から金員を借り受けたのであり、安西が借り受けたのではない。原告は自己の債務を返済したものである。
(3) 別表四3、4
西木秀夫が安西に金員を貸し付けた事実はなく、原告が借り受けたものである。
(4) 別表四5
原告は、その所有不動産に若林亮平を債権者、原告を債務者とする抵当権を設定しているのであり、原告は借主であつて保証人ではない。
(5) 別表四6、7
原告は、株式会社八百春及び清澤喜代次が神南青果組合から借り入れをするについて保証したのであるが、右債務は、債務者である右八百春及び清澤が返済した。
仮に、原告が保証債務の履行として返済したとしても、原告は神南青果組合から請求がないにもかかわらず、返済期限の一年半以上も前に支払つたのであつて、主債務者に求償しなかつたことは明らかであるところ、右八百春は、原告による右返済当時鎌倉駅近くの繁華街に店を構え、営業は繁盛していたのであり、右清澤も八百春の代表取締役であつたから、原告が右八百春及び清澤に求償権を行使すれば、右両名は、これに十分応じうる資産を有していたのである。したがつて、原告の右返済は、改正前所得税法六四条二項所定の「その履行に伴う求償権の全部又は一部を行使することができないこととなつたとき」に該当せず、その要件を欠くものである。
(6) 別表四8
安西は、広川正司の主催する無尽講である「三日会」に参加しておらず、二二〇万円を落札したこともなく、原告が残月掛金支払債務を保証した事実もない。
なお、無尽講なるものは、信頼関係に基礎をおくものであるから、落札したものが、残月掛金完納まで連帯保証人を定めることなど通常は考えられない。
(7) 別表四9
福岡平治は原告に貸し付けたのであり、原告は保証債務の履行としてではなく、自己の債務を返済したものである。
(8) 別表四10
原告が東光商事に対して、安西の債務を保証したことはない。
(9) 別表四11、12
安西は、自己の経営する藤自動車が湘南自動車から購入した自動車代金の支払いに七一万五六五〇円の約束手形を振り出したが、不渡りになつたため右額面金額に利息一万円を加えた七二万五六五〇円の約束手形を再び湘南自動車に振り出し、これを決済したものである。すなわち、安西が自己の債務を弁済したに過ぎないもので、原告はその支払いないし求償とは無関係である。
(10) 別表四13
原告が、安西の橋場屋本店に対する債務を保証したことも保証債務を履行したこともない。
(11) 別表四14
原告が有限会社神田屋質店から借り受け、これを返済したものである。
(12) 別表四15
原告は、安西が小瀬村與吉から金員を借り受けるに際して保証しておらず、かつ、返済もしていない。
(二) 事業用資産の取得については、原告が本件物件を取得したのではなく、ポール商事が本件物件を亀井甲子雄から買い受けて神田屋商事に譲渡し、さらに、同商事から買い戻したのである。
また、仮に原告が本件物件を取得したとしても、原告はポール商事に対し、本件物件を無償で貸し渡したのであり、本件物件を事業の用に供したものではない。
さらに、百歩譲つて、原告が本件物件を事業の用に供したとしても、事業の用に供した期間は昭和四二年六月から同年一二月までの七箇月間に過ぎず、措置法三八条の六の適用除外である「一年以内に事業の用に供さなくなつた場合」に当たる。
3 まとめ
本件譲渡所得については右2のとおり特例措置の適用がなく、譲渡所得金額は三二一七万〇一一一円であり、これに原告の自認する別表二の事業所得、不動産所得、給与所得及び雑所得を合算し、原告の昭和四二年分の総所得金額は、三四〇七万二九〇一円となる。
したがつて、その範囲内の二九三四万二九〇一円を総所得金額としてなされた本件更正処分は適法である。
また、被告は、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの。以下「国税通則法」という。)六五条一項を適用して、本件更正処分に基づき納付すべき税額に百分の五の割合を乗じて算出した金額を、過少申告加算税として賦課決定したものであつて、本件賦課決定も適法である。
三 証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 請求原因1の事実(課税の経緯及び不服審査の経緯)並びに原告の昭和四二年分の所得のうち事業所得、不動産所得、給与所得及び雑所得が別表二のとおりであることは、当事者間に争いがない。
二 次に、原告が昭和四二年中に原告所得の本件譲渡土地を京浜急行電鉄株式会社ほか一五名に総額七〇〇五万六八〇〇円で譲渡して本件譲渡所得を得たことは当事者間に争いがないところ、原告は、本件譲渡所得金額を算出するにつき、保証債務の履行として支出した分及び事業用資産の取得にあてるために支出した分を右譲渡所得に係る総収入金額(本件譲渡代金)から控除すべきである旨主張するので、以下この点について判断する。
1 当事者及び争点の背景にある事情
成立に争いのない甲第二九ないし第三一号証、第三七号証、原本の存在及びその成立について争いのない甲第四ないし第九号証、第三二号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第三三号証、証人安西光蔵の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
原告は、横浜市港南区内に農地、山林を所有して農業を営んでいたが、付近が市街化してきたため、昭和四〇年ころから不動産業を営むようになつた。
原告の妻の弟である安西も、昭和三九年までは長兄らとともに農業に従事していたが、このころから喫茶店(店名リド)を開業し、また、昭和三九年六月二〇日喫茶店経営及び印刷業を目的とするポール商事を設立し、その本社及び工場を横浜市中区長者町七丁目一一四番地所在の貸ビルの一室に設け、さらに、昭和四〇年ころ中古自動車の販売を営業目的とする藤自動車を設立した。
ところで、安西は、右喫茶店の開業資金やポール商事、藤自動車の設立資金、設備投資資金、運転資金等については、知人や兄達に頼つていたが、その後も資金繰りに窮し、兄や原告に保証をして貰うのみならず、同人ら自身に債務者となつて資金を都合して貰うことも多くなつた。そのための便宜もあつて、その後原告は、ポール商事の取締役に就任することにもなつた。
ところで、安西は昭和四一年四月一日、ポール商事の本社及び工場として使用するため本件物件を六五〇万円で亀井甲子雄から買い受けたが、これを譲渡担保に供したため、後に安西、ポール商事又は原告においてこれを再取得又は買戻さざるを得なくなつた。また、安西に助力してきた原告らは、安西の債務を清算するために自己所有の不動産を売却せざるを得なかつた。
以上のとおりであつて、この認定に反する証拠はない。
そこで次に、右事実を前提事実として、争点について検討する。
2 保証債務及びその履行の有無
原告は、本件譲渡代金をもつて別表四記載の保証債務を履行したが、主たる債務者に対して求償しえないから、改正前所得税法六四条二項により右保証債務の履行分を本件譲渡代金から控除して譲渡益を算出すべきである旨主張するので、この点について以下別表四の番号順に個別に判断する。
(一) 別表四の1(河原佐市関係)
(1) 前記甲第四号証、第八、九号証、成立に争いのない乙第一五号証の三、四及び証人中川和夫の証言により真正に成立したと認められる乙第一五号証の一によれば、原告の父の従兄弟であつた河原佐市は、安西から融資を求められたが、安西とは顔見知りでもなかつたためこれを断つたところ、安西は昭和四〇年一〇月五日原告を同道して再度借入れを求めてきたこと、河原佐市は、従兄弟の子である原告についてはよく知つており、安西がその原告の妻の弟というので右申出に応じることにしたが、安西を直接には知らないので原告が借受名義人になつて欲しいと要望した結果、右同日原告に対し、二〇〇万円を月五分の利息で同月末まで無保証、無担保で貸し付ける旨の合意が成立し、その旨の借用証が作成されたこと、原告は同年一二月三〇日に右借入金のうち一〇〇万円及び利息一〇万円を弁済したが、残金一〇〇万円について返済が延びていたため、昭和四一年七月二五日原告、安西及び安西豊治を連帯借主とする連帯借用証を作成してこれを河原佐市に差し入れ、その後原告が残金一〇〇万円を返済したことの各事実が認められる。
そして、右認定に反する証拠は次に説示するとおり信用できない。すなわち、まず、前記甲第四号証(本件の原告が提起した当庁昭和四四年(行ウ)第九号事件〔以下「別件事件」という。〕の安西の証人尋問調書)及び第八号証(別件事件の原告本人尋問調書)の記載中には、原告ではなく安西が河原佐市から一〇〇万円か二〇〇万円単位で二、三回借り入れをした旨の供述の記載部分があるが、前掲乙第一五号証の三の借用証に原告が借受名義人と記載されていること及び前認定のとおり河原佐市が顔見知りでない安西を借主とすることに難色を示したことと対比すると、右供述記載部分は信用できない。なお、原告が昭和四一年一〇月三一日に利息五万円を河原佐市に返済した旨が記載された甲第五六号証は、右の貸借以外の貸借又は右と異なる返済内容を窺わせるものではあるが、その場合でも河原佐市からの借受当事者が原告であつたことを裏付けるものであるから、借受当事者に関する右の認定を妨げるものではない。そして、他に右認定を左右する証拠はない。
(2) 右認定事実によれば、河原佐市は安西からの借入申出を断り、原告を借主として貸し付けたのであつて、河原佐市から二〇〇万円を借り受けたのは、原告であつて安西ではなく、原告の返済は自己の債務を弁済したものというべきである。
もつとも、前記甲第八号証によれば、河原佐市から借り受けた金員は、安西が全額使用したものであつて、原告はその使途を知らなかつたこと、右借入金の利息は安西が負担し、同人も河原佐市の許にその支払いに出向いたことが認められるが、右借受金の資金需要者が安西であることや同人が利息を負担していたことをもつて、右結論を左右することはできず、右貸付の経過からして、原告が借主というべきである。
したがつて、原告の河原佐市に対する返済は、保証債務の履行とはいえず、原告が安西に対し求償権を取得する余地はない。
(3) なお、原告は、被告は本件更正処分において別表四の1ないし4記載の金額についてはこれを本件譲渡代金から控除して譲渡所得を算出することを認めていたのであるから、本件訴訟において右を否認することは許されず、また、十数年を経て原告が右の分についての証拠書類を破棄した後になつて、これを否認することは権利濫用である旨主張する。
しかし、被告の右行為は本件更正処分に所得過大認定の違法がないことを根拠付けるための主張の提示であるにとどまり、本件更正処分における所得金額を上回る課税を新たに原告に課そうとするものではなく、このようないわゆる理由の差替えは許されるべきものであり(最高裁昭和五〇年六月一二日第一小法廷判決・訟務月報二一巻七号一五四七頁)、原告の右主張は採用できない。
(二) 別表四の2(福島高松関係)
前記甲第六号証、証人中川和夫の証言により真正に成立したと認められる乙第一六号証の一及び証人林広志の証言により真正に成立したと認められる乙第二二号証によれば、福島高松は、横浜市港南区日野町四六九九番地に居住し農業を営んでいた者であり、原告とは若いころからの知り合いであつたが、安西とは面識がなかつたこと、原告と安西が昭和四一年ころ右福島から金員を借りるために同人方を訪れ、金員の借入れ方を願い出たところ、福島は原告が借主となるのであれば貸し付けに応じるというので、原告が借り受けることにし、造成された原告所有地(地目は田)の登記済権利証を預けて、福島から三〇〇万円位を借り受けたこと、その際、福島は、原告から半紙状の用紙に墨で書いた借用書を受領したが、それとは異なる、安西を債務者、原告を連帯保証人とした連帯借用証書(乙第一六号証の二)を受領したものではなく、右連帯借用証書は、ポール商事が昭和四二年四月ころ印刷した契約書用紙にそれより以前の昭和四一年五月三一日を作成日付と記載しているものであつて、後日作成されたものであること、その後原告が右貸金を返済したことの各事実が認められ、これに反する証拠はない。
右認定事実によれば、福島は、安西ではなく、知人の原告を借主として貸す意思を有していたものであるから、借主は原告であつて安西ではなく、原告の返済は自己の債務を返済したに過ぎず、保証債務を履行したものとはいえない。そして、右認定のとおり、右連帯借用証書(乙第一六号証の二)は原告が福島高松から金員を借り受けた後に作成され、借入当時に同人に渡されたものではないのであつて、これをもつて、原告が保証債務を負つたことの証拠とすることはできず、他に原告が保証債務を負つた事実を認めるに足りる証拠はない。なお、前記甲第六号証によれば、福島からの借受金は、安西が全額使用し、原告はその用途を知らなかつたことが認められるが、前記認定の借受けの経緯からして、右事実をもつて原告が単なる保証人に過ぎないということはできない。
したがつて、原告の福島高松に対する返済は、保証債務の履行とはいえず、原告が安西に対し、求償権を取得することはない。
(三) 別表四の3、4(西木秀夫関係)
安西が、原告を連帯保証人として西木秀夫から、昭和四一年二月二〇日に四五万円を、同年五月二八日に五〇〇万円をそれぞれ借り受けた旨記載された連帯借用証書二通(乙第二〇、二一号証)が存在するが、前記乙第二二号証によれば、右連帯借用証書(乙第二〇、二一号証)の契約書用紙は、ポール商事が昭和四二年四月以降に印刷した用紙であると認められるから、右契約書は、それより以前の同四一年二月二〇日及び同年五月二八日を作成日付として作成されたことになるところ、どのような事情により、そのような契約書の作成がなされたかについて首肯するに足りる証拠は見当らないから右契約書に信用性は乏しく、したがつて、右連帯借用証書をもつて安西が西木秀夫から金員を借り受け、これを原告が保証し、保証債務の履行として返済したとの事実を認めることは到底できない。また、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第五七号証によれば、西木秀夫は、原告を保証人として港南農業協同組合から、昭和四一年六月二〇日に五〇〇万円を借り入れたことが認められるが、これをもつて直ちに右資金が安西に貸し付けられ、かつ、原告がその貸付けを保証したと推認することはできず、その他このような事実を認めるに足りる証拠もない。
したがつて、西木秀夫が安西に金員を貸し付け、これを原告が保証したとの原告主張事実は認められない。
(四) 別表四の5(若林亮平関係)
(1) 前記甲第八号証、成立に争いのない甲第四四号証、原告本人尋問の結果により成立の認められる甲第三六号証(但し、借主欄の安西の住所、氏名の記載を除く。)、証人中川和夫の証言により真正に成立したと認められる乙第八、九号証、証人安西光蔵の証言(但し、後記信用しない部分を除く。)及び原告本人尋問の結果(但し、後記信用しない部分を除く。)によれば、次の事実が認められる。
原告は、安西から印刷業を始めたので援助して欲しい旨依頼されたが、資金を有しないため昭和四〇年一〇月九日、原告の居住する横浜市港南区下水谷町の町内会長、連合会長等を歴任し町の有力者であつた若林亮平を安西とともに訪れ、金員の借入れを申し出た。
若林亮平は、安西とはそれまで一面識もなかつたが、原告が同じ町内に居住する者で資産家であることを知つていたため、原告を信用して同日、返済期同年一二月八日とする約定で原告に三一八万円を貸し渡し、原告を借主とする「借用金之證」(甲第三六号証)を作成させて受領したうえ、原告所有の横浜市港南区下水谷町字八木二七七五番地(昭和四二年七月八日分筆前の土地)に、原告を債務者、若林亮平を抵当権者、昭和四〇年一〇月一四日付け抵当権設定契約を原因とする抵当権設定登記手続及び停止条件付代物弁済契約を原因とする停止条件付所有権移転仮登記手続をさせた。
その後、原告は、若林亮平に右貸金債務を一旦返済し、また借り受け、返済するといつたことを四、五回繰り返したが、昭和四一年四月七日二〇〇万円を月三分の利息(月六万円)の約定で借り、昭和四二年八月ころこれを返済した。
以上のとおり認められる。
(2) そして、右(1)の認定に反する証拠は以下に説示するとおり信用できない。
まず、甲第三六号証の「借用金之證」では、原告単独でなく、原告及び安西が共同借主となつて、昭和四〇年一〇月九日に若林亮平から三一八万円を借り受けた旨が記載されているが、前記乙第八、九号証によれば、若林亮平は、東京国税局直税部所属の大蔵事務官に対し、安西に金員を貸し渡したことがない旨を明確に供述し、被告宛の念書においても同旨のことを記載していることが認められるうえ、前掲甲第四四号証によれば、右(1)の抵当権設定登記において債務者が原告とだけ表示されていることが認められる。そして、原告本人尋問の結果によれば、原告ないし安西が若林亮平から金員を借り受けるときに若林に借用書を差し入れ、返済すると同人から右借用書を返して貰つていたことが認められる。以上の事実によれば、右「借用金之證」(甲第三六号証)中の安西の住所、署名部分は、原告が借入金を若林に返済して右「借用金之證」を返還して貰つた後に書き加えられたとの疑念を払拭しえず、右證の共同借主の記載部分をもつて安西が原告と共同して若林亮平から三一八万円を借り受けたとは認め難いのである。
また、証人安西光蔵の証言中には、安西が若林亮平から借り受けたのであつて、原告は保証人である旨を供述する部分があり、原告本人尋問の結果中にも同旨の供述部分がある。しかし、右供述部分は、前記乙第八、九号証に照らして信用できないばかりでなく、右(1)認定のとおり、若林亮平は、安西とは昭和四〇年一〇月九日当時まで一面識もなく、同人の資産状況も知らず、当初は原告所有不動産に抵当権や条件付代物弁済の登記までして金員を貸し渡していたのであり、その後返済がなされていたとはいえ、原告とは異なりよく知らず、資産も有しない安西に対し、なんら物的担保を取らずに二〇〇万円もの金員を貸し渡したとは考え難いのであり、このような点に照らしても、右供述部分は信用できない。
そして、他に右(1)の認定を左右するに足りる証拠はない。
(3) 右(1)の認定事実によれば、若林亮平から二〇〇万円を借り受けたのは、安西ではなく原告であつて、原告は保証債務の履行として返済したのではないことが明らかである。
なお、証人安西光蔵の証言及びこれにより真正に成立したと認められる甲第一三号証の一、二並びに原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第一二号証によれば、安西は若林亮平に対し、東京相互銀行横浜支店の安西名義の口座から支払われる小切手をもつて、昭和四一年一〇月三日及び昭和四二年二月六日に利息金各六万円を支払つていたこと、若林亮平から借り受けた金員は、安西がポール商事の運営資金等に使用し、原告はなんらこれを使用しなかつたことが認められるが、前認定の事実関係によると、原告が若林亮平から借り受けこれを安西に融通していたものと認められるから、右認定の事実と何ら抵触するものとは考えられない。
(五) 別表四6、7(神南青果組合関係)
(1) 証人安西光蔵の証言により真正に成立したと認められる甲第一四ないし第一六号証、官署作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分につき右証言により真正に成立したと認められる甲第一七、一八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第五八号証、証人安西光蔵の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
安西は、ポール商事の事業資金等を神南青果組合から借り受けようとしたが、同組合員以外に対する貸付を行わないため、組合員である安西の義父(妻の父)の清澤喜代次に対し、右組合から貸付を受けてこれを安西に融通して貰いたい旨を依頼した。
そこで、清澤喜代次は、昭和四〇年八月三〇日、自己を債務者、原告及び安西を保証人とし、かつ、原告所有山林二筆に極度額四〇〇万円の根抵当権を設定し、神南青果組合との間に手形割引及び手形貸付契約を締結し、さらに、同年一〇月四日に原告所有の山林一筆を追加担保として差し入れて右根抵当権の極度額を六〇〇万円に増額して、清澤喜代次の振出手形又は同人、原告及び安西の共同振出手形の割引により融資を受け、これによつて得た資金を安西に融通した。
また、清澤喜代次は、昭和四〇年九月二八日、自己の経営する有限会社八百春商店を債務者、原告、安西及び清澤喜代次を保証人にし、かつ、原告所有不動産に抵当権を設定して、神南青果組合から六〇〇万円を返済期昭和四三年一〇月三一日、利息日歩二銭八厘の約定で借り受け、これを安西に融通した。
そして、昭和四二年三月二四日神南青果組合に対し合計九九八万七〇四六円が返済されて右抵当権等は消滅した。
以上のとおり認められる。なお、右認定のとおり、神南青果組合からの融資金は、安西に融通され、さらに、証人安西光蔵の証言及び原告本人尋問の結果によれば、神南青果組合の理事長は、右融資金が安西の事業資金となることを知つていたこと、右融資金の利息は安西が捻出した資金によつて一部支払われたことが認められるが、そのことをもつて、右融資金の借主が組合員でない安西であると認めることができないのは既に述べてきたことから明らかである。そして、他に右(1)の認定を左右するに足りる証拠はない。
(2) 以上によれば、原告は、清澤喜代次及び有限会社八百屋 春商店の神南青果組合に対する債務を保証したのであつて、安西が右組合に対して債務を負担したことを前提にこの債務を原告が保証したとする原告主張の事実は認められない。
(3) しかし、念のために、債務者安西ではなく、債務者清澤喜代次又は有限会社八百春商店との関係で、原告の本件譲渡所得に改正前所得税法六四条二項の適用がないか否かを検討しておくこととする。
第一に、原告が右債務を返済したことを認めるに足りる的確な証拠がなく、かえつて前掲甲第五八号証によれば、返済は清澤又は安西がこれをしたものとうかがわれる。
また、第二に、改正前所得税法六四条二項の「求償権の全部又は一部を行使することができないこと」という要件を具備するためには、求償権の相手方たる債務者において、破産宣告、和議開始、失踪、事業閉鎖等の事実の発生又は債務超過の状態が相当長期間継続し金融機関や大口債権者の協力を得られないため事業再興の見込みもないこと、その他これに準ずる事情があるため、求償権を行使してもその目的が達成されないことが確実になつたことを要し、求償権を行使すれば支払いを受けられるのに行使せず、その結果時機を失して求償権行使が不能となつた場合等は右要件を充たしていないものと解すべきである。
これを本件についてみるに、証人林広志の証言及び右証言により真正に成立したと認められる乙第二三号証によれば、清澤喜代次は、昭和二七年ころから神奈川県鎌倉市小町二丁目八番一二号に店舗を構えて八百屋を営み、昭和三二年ころ有限会社八百春商店を設立して青果物の販売を行つており、得意先も付近の飲食店等を中心に多数あつて店は繁盛し、その当時月額約二〇〇万円の売上げがあつたこと、右会社は昭和五〇年ころ解散したが、それは右所在地に建物を新築して、青果物の販売の他に不動産の賃貸等を行う株式会社を設立するためであつて、それまで継続して営業をしていたこと、清澤喜代次は昭和五〇年以降、右所在地の土地に建物を新築し株式会社八百春を経営していたが、昭和五三年に右土地及び建物を約一億円で売却し、昭和五五年一二月二三日死亡したことが認められる。なお、証人安西光蔵の証言中には、清澤喜代次は昭和四二年当時多額の負債を抱え、債権者から追及されて家出し二年間住所地におらず、昭和五五年ころ借金を苦にして焼身自殺した旨の部分があるが、右認定のとおり、有限会社八百春商店は昭和四二年当時休業しておらず月額二〇〇万円の売上げがあり、清澤喜代次が昭和五〇年ころ有限会社八百春商店の所在地に建物を新築していたことに照らし右供述部分は信用できない。
そうすると、清澤喜代次及び有限会社八百春商店が昭和四二年当時において破産ないしこれに準じた状態にあつたとはいえず、また、清澤喜代次が失踪し所在不明であつたともいい難いところ、前記(1)認定のとおり、神南青果組合からの六〇〇万円の貸付金は返済期の一年七箇月前に返済されており、また、原告本人尋問の結果によれば、原告は、清澤喜代次に対し裁判手続等によつて求償権を行使したことはないことが認められ、以上によれば、仮に原告が右債務を返済したとしても、原告は、債務者である清澤喜代次及び有限会社八百春商店に対し、求償権の行使が可能であるにもかかわらずこれを行使しなかつたものと推認されるのである。
(4) したがつて、いずれにしても、別表四6、7の分は、改正前所得税法六四条二項の要件を充たしているとは未だいえない。
(六) 別表四8(富国建設株式会社〔三日会〕関係)
広川正司が昭和四一年二月ころ友人有志との親睦のために三日会と称する頼母子講を開講したところ、安西が、これに参加して三箇月目に落札し、その後の残月掛金の支払いを確保するために原告を保証人にした旨を記載した昭和五五年一〇月二〇日付け書面(甲第四五号証)が存在する。しかし、右書面は作成時から一四年も前のことを記述したものであるばかりか、証人中川和夫の証言及び右証言により真正に成立したと認められる乙第一二号証によれば、広川正司は、右記載事項のあつたとされる昭和四一年から約六年後の昭和四七年一月二五日付けで同人個人又は同人が代表者であつた富国建設株式会社と安西又は原告との間に金銭貸借はなく、またその斡旋をしたこともない旨を記載した東京国税局長宛の「念書」と称する書面を作成していること、広川正司は右念書作成時(昭和四七年一月二五日)事情聴取に訪れた東京国税局の中川和夫に対し、原告は昔から知つているが、安西は知らないと述べていたことが認められる。したがつて、前記甲第四五号証の書面の内容は、信用できないといわざるを得ないのである。
また、原告を保証人、安西を借主、借入金額二二〇万円とする三日会宛の昭和四二年四月三日付け連帯借用証書(甲第四六号証)が存在するが、前記乙第二二号証によれば、右連帯借用証書は、ポール商事が昭和四二年四月以降に印刷した契約書用紙に記載されたものであつて、右用紙が右作成日付け当時に存したものか否かは極めて疑わしい。これに加えて、前記広川正司作成書面(甲第四五号証)によれば、三日会は昭和四一年二月ころから開講され、安西は当初から参加し三箇月目に落札したというのであるから、昭和四二年四月三日ころに落札したことを示す同日付けの右連帯借用証書と右広川書面は互いに矛盾するものである。以上に照らすと、右連帯借用証書(甲第四六号証)がその作成日付のころ三日会に差し入れられたとは認め難く、むしろ、後日になつて原告及び安西がこれを作成したとの疑念を払拭しえず、右連帯借用証書(甲第四六号証)の存在をもつて、原告が三日会に対し、安西の債務を保証したとの事実を認めることは到底できないといわなければならない。
そして、他に安西が頼母子講である三日会に参加して二二〇万円を落札し、残月掛金を原告が保証した旨の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
以上のとおりであるから、原告が安西の三日会に対する債務を保証していたものと認めることはできない。
(七) 別表四9(福岡平治関係)
(1) 前記甲第四四号証、成立に争いのない甲第四七号証、乙第一九号証、証人福岡平治の証言により真正に成立したと認められる甲第三五号証の一、二、乙第一〇号証、証人福岡平治、同安西光蔵の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
福岡平治は、横浜市港南区上水谷町五〇五六番地(住居表示の変更により、現在は横浜市港南区水谷四丁目一七番九号)に子供のころから居住し、原告と共に同じ小学校のPTAの役員を務めていたこともあつて、原告とは親密な間柄であつたところ、昭和四〇年ころ、原告の紹介で知り合つた安西からポール商事の雑用を頼まれ、同会社に出入りして月額二万円程度の報酬を貰うようになつた。
原告は福岡平治に対し、安西の経営するポール商事が苦しいので資金を融通して欲しい旨依頼したところ、福岡は、原告のことはよく知つていたが、安西の返済能力や資力の有無については分からなかつたため、原告を介した協力にしか応じようとしなかつた。そして、安西が福岡に担保物件の提供の協力方を依頼すると、福岡は、原告所有の横浜市港南区下水谷町字八木二七七五番一の土地(田)に債権額二五〇〇万円、債務者を原告の経営する港南開発株式会社、福岡を抵当権者とする抵当権を設定することを条件に、福岡所有の横浜市港南区上水谷町字半在家五〇五五番二(表示変更後は横浜市港南区上水谷四丁目五〇五五番二)の土地(山林)を提供し、昭和四〇年一二月一〇日東京相互銀行を根抵当権者、ポール商事を債務者、元本極度額を二五〇〇万円とする根抵当権を設定した。さらに、安西が金員の借用方を求めた際、福岡は、自己所有の土地を担保にして昭和四一年二月一七日に横浜南農業共同組合から四五〇万円を借り受けたが、このときにも原告を介したうえで右金員を安西に引き渡した。
福岡平治は、安西の借り入れ要請に対して、右以外にも金員を融通したが、必ず原告を介して金員を渡していた。このようなものの一つとして、福岡が昭和四一年九月ころ原告に一〇〇万円を借用書だけで貸し付け、同四二年四月ころ返済を受けたことがあつた。
以上のとおり認められる。
(2) そして、右(1)と反対の原告主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。すなわち、まず原告が福岡平治に対し、昭和四二年四月八日、安西の借受金二〇〇万円を返済した旨記載された領収証(甲第二〇号証)が存在するが、証人福岡平治の証言及び右証言により真正に成立したと認められる乙第一七号証によれば、右書面(甲第二〇号証)は、福岡平治の住所の記載を誤り、同人及び同人の妻の字体とも明らかに異なる筆跡で記載されていることが認められ、また、福岡の指示により同人の娘が作成した旨の証人福岡平治の証言部分は、曖昧であるうえ、同人の娘が自己の住所地の記載を誤つて記載するとは考え難い点に照らし、右証言部分は措信できない。したがつて、結局右書面(甲第二〇号証)が真正に成立したものと認めることはできず、その他右書面が真正に成立したと認める証拠はないから、これを証拠とすることはできない。
次に、名刺の裏に安西が福岡から一〇〇万円を借り受けた旨が記載された借用書と題する昭和四一年二月六日付け書面(甲第一九号証)が存在する。しかし、福岡が、それ程親しくもない安西に対し、原告の保証もなく、右のような略式の方法で一〇〇万円もの金員を貸したとは考え難いうえ、仮に貸付けがあつたとしてもこれに対する原告の保証を示す証拠はなく、また、右貸付はそもそも原告主張の別表四9の貸付自体とは内容を異にするものである。したがつて、右甲第一九号証の存在をもつて、原告主張事実を認めることはできない。
また、証人安西光蔵の証言中には、安西が福岡平治から金員を借り受け、原告はその保証人になつていた旨を供述する部分があり、原告本人尋問の結果中及び証人福岡平治の証言中にも同旨の供述部分があるが、福岡が、資力について十分把握していない安西に対し安易に貸し付けるとは考え難いばかりでなく原告がこれにつき保証人となつた旨の書面も見当たらない以上、右各供述は信用できない。
そして、他に、原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。
(3) したがつて、仮に別表四9と日時、金額の符号する取引があつたとしても、それは、右(1)認定のとおり安西でなく原告が福岡平治から借り受けたものであつて、原告がその返済をしたからといつて、原告が自己の債務を返済したにほかならない。
(八) 別表四10(東光商事関係)
(1) 次のとおり、原告主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。すなわち、まず、証人安西光蔵の証言中には、安西が東光商事から二〇〇万円を借り受け、その際に原告及び安西豊治を保証人にした旨の証言部分がある。また、原告本人尋問の結果中には、安西が東光物産に対し、譲渡担保設定の委任状(甲第二四号証)、藤自動車の振出にかかる額面金額一〇〇万円の小切手(甲第二一号証)及び安西の振出にかかる額面金額一〇〇万円の手形(甲第二二号証)をそれぞれ差し入れて二〇〇万円を借り受け、その後、右小切手及び手形をポール商事と原告の共同振出にかかる二〇〇万円の手形(甲第二三号証)に切り換え、最終的に原告が一九五万円を返済して右手形及び委任状の返還を受けた旨を供述する部分がある。
しかし、安西は、当初、証人尋問において、「東光物産」から二〇〇万円を借り受けたところ、同会社は渋谷か、茅場町か、新橋かにある旨を証言していたが、昭和五六年六月二九日の証人尋問(差戻前第一審の第四四回口頭弁論期日)において、「東光物産」ではなく、「東光商事」であり、同会社は大田区蒲田にある旨の証言を突如行つて従前の証言を訂正したのである。また、安西は、右訂正に至つた理由について、いままで探していて見つからなかつた東光商事の名刺が見つかつたからである旨を証言するにとどまる。のみならず、原告は、前認定のとおり保証債務の履行として弁済した金額のうち求償権を行使しても回収しえない金額を本件譲渡代金から控除し得るとして確定申告を行い、昭和四四年一月二五日から不服審査手続を開始して一貫して右の点を争い、自分の妻の弟の安西が主債務者で、原告がその保証人であると主張するのであるから、少なくとも債権者の名称程度は両者が一致してしかるべきと考えられるところ、両者が一致していなかつたものである。しかも、安西の前記証言部分は、本件更正処分から一三年余も経過した後になつて、はじめてなされたものである。これらの諸点に照らすと、安西の右証言部分の信用性は訂正の前後を通じてすこぶる乏しいといわざるを得ない。
なお、原告は、安西の書類を調べたところ、昭和四一年一二月九日、二〇万四〇〇〇円を利息金として平和相互銀行渋谷支店の「東光物産株式会社社長金沢広」名義の普通預金口座に振り込んだ送金の控えがあり、安西は右東光物産株式会社に利息を支払つていた旨具体的に供述していたのであるが、右東光物産は、甲第五一号証の名刺に記載されている「東光商事中川正秀」「東京都大田区蒲田五丁目三二番八号(内山ビル三階)」との対比から明らかなとおり、原告が最終的に問題とする東光商事とは別法人であり、このような混乱があることからみて、東光物産に係る冒頭の原告の供述部分も東光商事に関する主張と同様に信用できないものといわなければならない。
さらに、前記の小切手、約束手形及び委任状(甲第二一ないし第二四号証)には、受取人又は受任者ないし債権者の氏名の記載もなく、誰に渡されたものかも明確でないから、右小切手等をもつて、原告が安西の東光商事又は東光物産に対する債務を保証したことはできない。
(2) 以上のとおり、原告主張事実を認めるに足りる的確な証拠がなく、かつ他に原告が、安西の東光商事又は東光物産に対する貸金債務を保証した旨を認めるに足りる証拠はない。
したがつて、原告が安西の東光商事ないし東光物産に対する債務を保証していたとはいえないだけでなく、そもそも安西が東光商事ないし東光物産から金員を借り受けていたとの事実が存在したかについて多大の疑念が生じるのである。
(九) 別表四11、12(湘南自動車関係)
(1) 証人中川和夫の証言により真正に成立したと認められる乙第一一号証、第一八号証の一、二及び証人中川和夫の証言によれば、次の事実が認められる。
湘南自動車は、安西の経営する藤自動車に対し、中古車販売等をしていたが、藤自動車に中古車を販売した代金の一部として同会社から受け取つた安西振出の額面金額七一万五六五〇円、支払期日昭和四二年二月一三日の手形の決済ができないという連絡を藤自動車から受け、同会社が右手形の額面金額に利息金一万円を加えた額面金額七二万五六五〇円、支払期日同年三月一〇日、振出日同年二月一三日、振出人安西、支払場所駿河銀行藤沢本町支店とする手形を持参したので、これを受領した。そして、この手形は支払期日に決済された。
以上のとおりである。
(2) そして、右(1)の認定に反する証拠は次に説示するとおり信用できない。
まず、証人安西光蔵の証言中には、原告は、藤自動車が湘南自動車との取引から生じる債務を保証していたところ、湘南自動車に振り出した額面約七〇万円の手形二通が期日に払えなくなり、原告に支払つて貰つた旨を供述する部分があり、また、原告本人尋問の結果中には、原告が、藤自動車と湘南自動車との取引によつて生ずる債務を一〇〇〇万円の限度で保証することを約してその旨の公正証書を作成していたところ、安西振出の手形では信用できないといわれ、支払期日昭和四二年二月一三日、額面金額七一万五六五〇円の手形及び支払期日同年三月一〇日、額面金額七二万五六五〇円の手形をポール商事振出の手形と差し換え、原告がこれを決済した旨を供述する部分がある。
しかし、右供述部分は、前記(1)記載の証拠の客観性に照らして信用できない。
また、湘南自動車を作成者、宛名を原告、金額を一四三万一三〇〇円、日付けを昭和四三年三月一四日と記載した領収証(甲第二五号証)が存在するが、前記乙第一一号証によれば、ポール商事の鈴木彰が湘南自動車を訪れ、税務署に提出する必要があるからといつて、右のとおりの内容を事前に記載した用紙を用意してきて署名捺印を求めたので、湘南自動車の代表取締役酒巻太郎は、これに応じて虚偽内容を含む右領収証を完成したこと、右酒巻太郎は、右領収証は宛先を原告としている点及びその金額を一四三万一三〇〇円としている点で誤つている旨を申述書に記載していることが認められるので、これに照らすと、右領収証をもつて、原告が右領収証記載の金額を湘南自動車に弁済したと認めることはできない。
成立に争いのない甲第四二号証によれば、昭和四一年一一月一、原告所有の横浜市港南区下水谷町字八木二四一五番一の土地に、債務者を原告、債権者を酒巻太郎(湘南自動車の代表取締役)、債権額を一〇〇〇万円、同日の金銭消費貸借を原因とする抵当権が設定されていることが認められるが、そのことから直ちに、別表四11、12のとおりの安西の湘南自動車からの借入れ、これについての原告の保証及び原告の履行による求償権の発生が存在したことになるわけではない。
そして、他に、右(1)の設定事実を左右するに足りる証拠はない。
(3) 右(1)の事実によれば、安西振出の手形の決済ができないので、安西又は藤自動車は再度湘南自動車に安西名義の手形を降り出して自らこれを決済したのであり、原告が右の返済をしたものとは認められない。
したがつて、原告が安西の債務を返済したとの原告主張事実は認められないというべきである。
(一〇) 別表四13(橋場屋本店関係)
原告は、安西が昭和四一年九月橋場屋本店(代理人小瀬村信治)から借り受けた貸金を、原告が昭和四二年五月二二日保証債務の履行として同店に返済した旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。
原告提出の甲第二六号証は、橋場屋本店の安西宛の領収証であり、橋場屋本店と安西との貸借関係を窺わせることはあつても、これだけにより原告が橋場屋本店に対して保証債務を負担しており、かつそれを返済したとの原告主張事実を認めることは到底できないのである。そして、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(一一) 別表四14(有限会社神田屋質店関係)
原告は、安西が昭和四二年四月三〇日有限会社神田屋質店から借り受けた貸金を、原告が同年六月九日に保証債務の履行として同店に返済した旨主張する。
しかし、証人中川和夫の証言により成立の認められる乙第一三号証によれば、原告が、有限会社神田屋質店から昭和四一年四月三〇日に三〇〇万円、同年一〇月一九日に一八〇万円を借り受け、昭和四二年六月九日右貸金債務のうちの残金三〇〇万円を同店に弁済したことが認められる。したがつて、安西ではなく原告が神田屋質店から金員を借り入れ、自らその債務を返済したというべきであつて、安西の同質店に対する債務を原告が保証してこれを原告が返済したとの原告主張事実は認められないのである。同質店の原告宛の領収証(甲第二七号証)が存在し、これに「安西貸付分(再発行)」なる但書が記載されているが、「再発行」ということ自体、右書証の成立に疑いを抱かせるものであつて、右書証により右の原告主張事実を認めることも相当でない。また、右質店からの貸金は安西において使用するものであり、かつそのことを同店の小瀬村信治が知つていたとしても、契約上の借主を右経緯により原告としている以上は、借主が安西、原告が保証人になるわけはなく、原告は自己の債務を返済したに過ぎないことになる。そして、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
(一二) 別表四15(小瀬村與吉関係)
原告は、主位的に、安西が昭和四一年四月に小瀬村與吉から借り受けた貸金を、原告が昭和四二年一月七日に保証債務の履行として返済した旨を主張し、予備的に、安西が昭和四〇年一〇月二三日小瀬村與吉から借り受けた貸金を、原告が昭和四二年五月二二日に物上保証人として安西に代位して返済した旨を主張する。
しかし、証人中川和夫の証言により成立の認められる乙第一四号証によれば、小瀬村與吉は昭和四〇年一〇月二三日安西に三〇〇万円を貸し付けた事実が認められるが右以外に、小瀬村與吉名義で貸付を行つたことを認めるに足りる証拠はなく、右貸付は、安西豊治(右書証中の「豊蔵」は「豊治」の誤記とみられる。)及び安西逸作を物上保証人としたものであり、原告が保証又は物上保証したものではないものと認められる。以上のとおりであつて、原告の主張事実はいずれもこれを認めるに足りる証拠がない(甲第二八号証は、その記載内容自体原告の主張事実に沿うものではない。)というのほかない。
以上に述べたとおり、原告には、原告の主張するような改正前所得税法六四条二項に該当する事実はなく、被告が右条項を適用せず、本件譲渡代金から別表四記載の金額を控除しなかつたことについて、違法な点はない。
3 事業用資産の取得の有無
原告は、本件譲渡代金をもつて事業用資産を取得したから、措置法三八条の六を適用して、右資産の取得費を本件譲渡代金から控除すべきである旨を主張するので、この点について判断する。
(一) 資産の譲渡所得を算出するにつき、措置法三八条の六を適用して事業用資産の取得費を譲渡代金から控除するためには、事業の用に供していた土地等を譲渡し、その譲渡した年の一二月三一日までに土地等の事業用資産を取得した場合、もしくは譲渡をした年の翌年中に買替資産を取得する見込みであり、かつ、取得した日から一年以内に事業の用に供した場合ないし供する見込みであることを要し、さらに、事業の用に供した場合であつても取得日から一年以内にその取得資産を当該事業に供しなくなつた場合は右減免措置の適用を除外されるものである。
(二) 原告は、本件譲渡土地を譲渡し本件譲渡代金をもつて、右譲渡した年の六月二二日本件物件を取得し、ポール商事に貸し付けて事業の用に供した旨主張するので判断するに、前記1認定の事実に前記甲第四ないし第六号証、第八、第九号証、第三三号証、第三七号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第一〇号証、乙第五号証、第七号証、成立に争いのない甲第四〇号証、乙第六号証、第二四、第二五号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第三四号証、証人安西光蔵の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
安西はポール商事の代表取締役であつた昭和四一年四月一日、本件物件をポール商事の本社兼工場用の土地建物として亀井甲子雄から六五〇万円で買い受け、その登記名義をポール商事の専務取締役であつた鈴木彰名義にした。但し、その購入資金は、原告が自己所有土地を担保に原弥門及び新井重雄から借り受けて調達したものであつた。その後の同月二六日、本件物件は神田屋商事に譲渡担保に供されたが、これについてはポール商事が右買受代金より安い六〇〇万円で買い戻すことができる旨の特約が付され、同商事は神田屋商事から月一八万円で本件物件を賃借して使用した。その後、原告がポール商事の代表取締役に就任し、本件物件は昭和四二年六月二一日に六〇〇万円の買い戻し金の支払いにより神田屋商事から原告名義に登記された。
しかし、原告は昭和四三年六月ポール商事の代表取締役を辞任し、その際、原告は、原告に代わつてその後のポール商事の経営を名実共に担う丸田智規及び山木盛親に対し本件物件の名義をポール商事に変更する旨約したが他方ではポール商事に対し、昭和四二年六月二一日から貸与中の本件物件を原告が使用する必要があるからとして、その返還を求める旨の昭和四三年一二月二一日付け通告書と題する書面を差し出し、さらに、昭和四五年四月三〇日横浜地方裁判所に山木盛親、丸田智規、ポール商事ら一四名を被告にして、ポール商事の株式のうち右山木盛親ら名義のものが原告の所有であることの確認、ポール商事の昭和四二年八月一日の株主総会決議不存在確認及び昭和四三年七月二四日の取締役会決議の不存在確認の各請求訴訟を提起するに及んだ。右訴訟については昭和五一年二月二三日訴訟上の和解が成立し、原告は本件物件がポール商事の所有であることを確認し、一一〇〇万円を同会社から受領するのと引き換えに、本件物件の登記名義を同会社に真正な登記名義の回復を原因として、所有権移転登記手続することを約し、昭和五一年四月八日に真正な登記名義の回復を原因として山木盛親名義に登記が経由されている。
以上のとおりである。そうすると、本件物件は、少なくとも名義上は、亀井甲子雄から鈴木彰、神田屋商事、原告、そして山木盛親へと移転していることが明らかであり、原告は、神田屋商事から原告への右名義移転をもつて措置法三八条の六のいわゆる買替資産の取得に該当すると主張するようである。しかし、右認定のとおり、鈴木名義で安西が当初六五〇万円で買い受けた本件物件が、その後それより低額の六〇〇万円で取引されていること及び、右六〇〇万円が譲渡人の神田屋商事によりポール商事との間で取り交わされた特約に定められている金額であり、原告がこのときにほかならぬポール商事の代表取締役であつたこと、その後結局は原告が本件物件をポール商事のために手離していることからすれば、仮に神田屋商事に対する六〇〇万円の支払いがポール商事ではなく原告の支出した金員によつてなされたものであつたとしても、それは、原告がポール商事に買戻資金を提供し、ポール商事のために買い戻しをしたものである、と解する方が自然であり、そうとすれば、原告が本件物件を取得したこととはいえず、措置法三八条の六の適用要件を欠くことになる。
(三) また、仮に、原告が神田屋商事に六〇〇万円を支払い原告が名実共に本件物件を取得したとしても、次のとおり原告が本件物件を事業の用に供したと認めるに足りる的確な証拠はない。
すなわち、原告は、本件物件をポール商事に賃貸したことにより事業の用に供したと主張し、成立に争いのない乙第二五号証によれば、原告は、昭和四二年分の所得税確定申告において、本件物件をポール商事に月額三万円で昭和四二年六月から同年一二月まで賃貸した旨を申告したことが認められる。しかし、右金額は神田屋商事による従前の賃料月額一八万円に比して極めて低額であるばかりか、原告本人尋問の結果によれば、原告は右申告内容のとおりの賃料を受領していないこと、及び原告とポール商事との間に賃貸借契約書も作成されていないことが認められるのであつて、このことに照らすと原告が本件物件をポール商事に賃貸していたものとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがつて、原告は本件物件を無償でポール商事の使用に供していたものであるから、「相当の対価を得て」(昭和四三年政令九七号による改正前の租税特別措置法施行令二五条の六第一項参照)する不動産の貸付ではなく、これをもつて本件物件を事業の用に供したということはできない。
(四) 以上のとおりであるから、いずれにしても、被告が措置法三八条の六を適用せず、本件譲渡代金から本件物件の取得費を控除しなかつたことに違法はない。
4 以上の次第であるから、本件譲渡所得金額の算出については改正前所得税法六四条二項及び措置法三八条の六の適用はなく、原告の本件譲渡所得に係る総収入金額は、本件譲渡土地の譲渡代金七〇〇五万六八〇〇円である。
そして、本件譲渡土地の取得費が四九一万四一七七円であること、譲渡費用が五〇万二四〇〇円であることは当事者間に争いがなく、譲渡所得の特別控除の金額は三〇万円である(昭和四六年法律第一八号による改正前の所得税法三三条四項)から、別表三の「何らの特例がなかつた場合の譲渡所得金額」欄記載のとおり、右総収入金額から右各金額を控除した六四三四万〇二二三円に二分の一を乗じた(所得税法二二条二項二号)三二一七万〇一一一円が譲渡所得金額となる。
三 以上により、原告の総所得金額は、右譲渡所得金額に別表二記載の事業所得、不動産所得、給与所得及び雑所得を加えた三四〇七万二九〇一円となる。
被告は右金額の範囲内である二九三四万一九〇一円を総所得金額として本件更正処分及び本件賦課決定を行つたものであるから、本件更正処分及び本件賦課決定には原告主張の所得過大認定の違法はない。
四 よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川上正俊 裁判官 岡光民雄 裁判官 西田育代司)
別表一
<省略>
別表二
<省略>
(五) △は損失の金額を示す。
別表三
<省略>
別表四
<省略>
物件目録
一 所在 横浜市中区石川町二丁目
地番 八九番
地目 宅地
地積 二四二・一八平方メートル
二 所在 横浜市中区石川町二丁目八九番地
家屋番号 八九番
種類 店舗兼居宅
構造 木造亜鉛メッキ銅板葦二階建
床面積 一階 四三・八〇平方メートル
二階 三七・一九平方メートル
三 所在 横浜市中区石川町二丁目八九番地
家屋番号 同町二丁目一九一番二
種類 居宅
構造 木造亜鉛メッキ銅板葦平家建
床面積 六四・六六平方メートル